Vol.1 宇津救命丸の創業400年の歴史
インタビュー内容
プロローグ
聞き手
お子さんがいらっしゃる家庭は何代にもわたってお世話になってこられたのではないでしょうか。
本日はですね、子供用の医薬品を作り続けて400年超という宇津救命丸株式会社、代表取締役社長、宇津善博社長にお話を伺いたいと思います。それでは社長、宜しくお願い致します。
宇津
宜しくお願いします。
宇津救命丸の創業 400年の歴史
聞き手
会社がいわゆる医薬品を作るという事業を始められたのは慶長2年。
宇津
そうですね。医薬品というか、救命丸が創立したのが1592年ということですね。
聞き手
こちらのお薬を作り続けて400年超ということなんですが、最初は子供用の薬というわけではなかった?
宇津
そうですね。
元々は大人の薬として村人の健康のために作ってただで配っていたということが始まりです。
やっぱり人のために尽くすという気持ちが強かったためにですね、それが代々続いているんですけれども、人々の健康を守るということで、お医者さんだった経験を生かして、救命丸を作ったと聞いております。
やっぱりただで配っていたんですけれども、評判を呼びまして、きっかけはやっぱり一橋家という徳川家の一橋家に献上したのがきっかけで、それから全国的に広がって行って、評判が非常に良かったということで、薬を求めてきた方が非常に増えてきたんですね。そこのきっかけに救命丸を商品として売るというのが始まりだったと思います。
聞き手
最初は大人向けで、始められたということなんですが、私からすると宇津救命丸というのは子供の薬というイメージが強いんですが、いつぐらいから子供の薬という形で変わり始めたんでしょうか?
宇津
明治になりまして、色々薬事法が変わって、それまで救命丸の処方は秘密になっていたんですけれども、やはり公開しなくてはならなくなったり、商標の問題とか、色々変わってきまして、その時に非常に栄養状態が悪くて、お子さんの健康状態が非常に悪いということで、その当時の当主が子供用に切り替えよういうことで、小児専門薬ということで、明治から子供になりました。
聞き手
そうなんですね。
作り方も昔は一子相伝の薬と言われて。
宇津
処方も全部口伝えて伝わってきているので当時の処方が残ってないんですね。
聞き手
そうなんですか。
何かに書き留めてどこかに。
宇津
それがないんですね。
ただ明治になって薬事法が変わった時にすべて公開して、それが最初の処方になったといいます。
それがまた逆に類似品が急に増えまして、救命丸という種類が世の中にバッと増えまして。で、標章が出来た時には救命丸は一般名称になってしまって、標章が取れなかったんですね。正露丸さんもそうなんですけど。
救命丸というのは一般名称で、標章が取れずに宇津救命丸という標章を取ったわけですね。
経営者プロフィール
| 氏名 | 宇津 義博 |
|---|---|
| 役職 | 代表取締役社長 |
会社概要
| 社名 | 宇津救命丸株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 東京都千代田区神田駿河台3-3 |
| 業種分類 | 医薬品 |
| 代表者名 | 宇津 義博 |
| WEBサイト | http://www.uzukyumeigan.co.jp/ |
| 事業概要 | 『宇津救命丸』『宇津こどもかぜ薬』などの医薬品及び医薬部外品製造販売業、衛生材料及び医療用具・食品・日用品雑貨の製造販売業 |