Vol.2 仕事を通じて得た財産と新商品開発の裏側
インタビュー内容
仕事を通じて得た財産と 新商品開発の裏側
井口
将来マルマンに入るというのは意識をしていましたんで、やはり、私たちの主原料である紙の関係ですね、紙の仕入れ先、商社、そういうところにチャレンジを致しました。で、今私共の仕入れ先の紙の商社、代理店の方に入社しまして、そこでもどっぷり、今度は紙という商品もそうですけど、紙流ですね、仕事の流れですとか、流通ですとか、また仕入れ関係の方がたと色々な人脈も出来たという点では非常に良い経験だったと思います。
井口
私自身はですね、紙の商社が気に入ってまして、まだまだやっていくつもりでありました。ただ残念ながら父親の方からそろそろマルマンに入れということで、だいぶ口論を致しまして、帰りたくないということでですね。でも、とにかく1回帰ってこいということで、マルマンに入ったんですけれども、それからはずっとマルマンでございましたね。ただ色んな意味で経験を積んで、父親は非常に厳しい人間でして、当時私は社会に6年も経験している人間でしたが入社は新入社員で入りましたね。これは厳しかったですね。
井口
まずは営業を経験致しまして、私共の得意先の問屋さんを担当する部所で、文具の流通について学ばさせて頂いたのと、開発営業部と言いまして、そちらとはまた別の私共が相手様の商品の生産のお手伝いをするような部署でございますね。
それとその後は経理も経験しましたし、それから商品開発の企画の方も経験を致しました。その商品開発、企画の方が一番長かったんですが、今でも私はそれが強い財産だと思います。その前以前はですね、やはり厳しい父親で高校、大学と春と夏はアルバイトで、私とマルマンの工場に入ってまして、一緒に工場の方々と生産に携わってまして、これを6年ぐらいやりましたね。
ですからそういう面で行くと、私共の商品がどうやって出来ているか、仕入れの流通がどうなのか、そしてそれがどういう形で売られるのか、それから商品開発はどのような段階でやるのか、それから回収から資金繰りまで、全部経験が出来まして、これがやはり私の一番の財産ですね。会社で何かが起きるとどこでとうなっているか、手にとってわかりますね。そういう面では感謝をしています。
私が一番危機感を持ったのはですね、1990年から91年です。これはちょうどベルリンの壁が崩壊したのが89年で、世界が変わろうとしている中で、変化というのが大きくあったのと、それからちょうど日本の学生人口に変化が現れる頃だったんです。
私共の当時は主なユーザー様というのは高校生、大学生だったんですね、これはまさに減少していく年のスタートでした。ですから、ここをどうやって変えていくかとういうことを、まずは体質改善を始めていって、それからちょうど10年強ですかね、前にようやく形ができたのが、ビジネスマン向けの、社会人向けのマーケット。こちらを手掛けようということで、実は社会人向けのマーケットのニーモシネというブランドのノートの完成品がありまして、これが着実に認められて来ました。
その間もですね、日本文具大賞を頂戴したり、それから販売店さんのご協力を頂きながら、拡販をして行って、ある程度のビジネスマンの方々には認知して頂いているのではと思いますね。これは1つの大きな私の誇れる事がらかなと思いますが。
経営者プロフィール
| 氏名 | 井口 栄一 |
|---|---|
| 役職 | 代表取締役社長 |
会社概要
| 社名 | マルマン株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 東京都中野区中央2-36-12 |
| 設立 | 1920 |
| 業種分類 | その他製品 |
| 代表者名 | 井口 栄一 |
| 従業員数 | 201 名 |
| WEBサイト | http://www.e-maruman.co.jp/ |
| 事業概要 | スケッチブック『図案シリーズ』、ノートブック、ファイルノート、 ルーズリーフ等の製造販売 |