Vol.4 最大のピンチ
インタビュー内容
最大のピンチ
小出
もう3年位かな、3.11の東日本大震災の時、広告とか、宣伝とか、マーケティングとか、新商品開発というものの予算が、割と一気に連結されてたんですよ。あの時期なので、たぶん僕らの界隈の、マーケティングとか、コンサルティングとか、あとテレビ周りの界隈の人達って、すごく困ったと思うんですね。走っていたプロジェクトもどんどん止まったし、翌月なんて新規受注ってほとんどなかったですし。
とにかく、なので僕らは一番なんて言うのかな、直面した危機経営上の危機ってやっぱりそこですね。経営上の危機はそこ。そこに対して我々が外向きに、インテリジェンスを最大化という風に言っているからには、自分たちもそれはもう、知恵を振り絞って色々考えるしかないので、3月11日って確か週末の金曜日かなんかで、3月14日にはすでに、この危機をどういうふうに乗り切ろうかというシナリオを、役員会で合意してたんですよ。営業日でいくと、中ゼロ日ですよね。その中には、大阪への事業所移転のプランもありましたし、事業規模をどこまで縮小してやっていくかというプランもありましたし、何か月間かこういうふうに耐えれば、同業他社でキャッシュフローに困っている会社のいくつかがつぶれていくから、盛り返したあとのリカバーはずいぶんアドバンテージがあるんじゃないかとか、その辺までだいたいもう見通しは立てられていたので、3月14日の週には、おおよそこれはこのまま原発がボーンッといって、関東周域でビジネスが続行できなかったときのプランと、そうではない、関東ではビジネスができるけど、向こう3か月ぐらい収益が薄くなるプランと、あとはほぼほぼ、実は影響がないというプランの3通りぐらいはもうできていたんですね。
そのときに僕が思ったのは、今の会社の経営チームと言うんですか、役員のチームというのがもうかなりこれ手前みそなんですけども、非常にチームとして完成形に近づいているなぁと思っていて、個々のメンバーの能力の一人一人の高さと多様性といいますかね、得意なジャンルというのとがかなりこう、いいレベルに来たなと、そのとき僕は思いましたね。
その中で、本当の一部分だけを、僕が社長として担ってるという感覚を持ったので、すごくピンチだったし、かなりその瞬間は「やばいなぁ」と思ったんですけども、こう揺れながら「ああ、やばいな」と思って、この先何か月か苦しい戦いになるなと思ったんですけども、結果蓋を開けてみれば、如何に自分の一緒にやってくれる仲間が優秀かがよく分かったので、すごく翻っていい経験だったと思います。
経営者プロフィール
| 氏名 | 小出 紘道 |
|---|---|
| 役職 | 代表取締役会長兼社長 |
| 生年月日 | 1976年12月15日 |
| 座右の銘 | 臨機応変 |
| 愛読書 | I AM ZLATAN |
| 尊敬する人物 | 職場の仲間達 |
会社概要
| 社名 | 株式会社シタシオンジャパン |
|---|---|
| 本社所在地 | 東京都中央区京橋3-7-5 京橋スクエア12F |
| 設立 | 1985 |
| 業種分類 | サービス業 |
| 代表者名 | 小出 紘道 |
| WEBサイト | http://www.citation.co.jp/ |
| 事業概要 | 総合マーケティング業(マーケティングリサーチ&コンサル) |