Vol.2 人を活かすための経営改革
インタビュー内容
人を活かすための 経営改革
聞き手
戻ってこられたばかりの時の会社の方の受け入れはどうだったんですか。
山崎
まあ不二家さんにいましたから色んな仕組みはできてましたしね。それから食品を作るという意味での基本的な姿勢があった。うちの中ではそれがなかなかなかったというところもあってね。こうしないといけないああしないといけないと粗さがしばっかり、しているような所がありましたね。父からもお前がやらなくてだれがやるんだといわれて。その辺を一生懸命、一生懸命やればやるほどみんなが離れていくような。うるせーやつだな、なにもできないくせにだとか。あるいはそういう声があったから。工場の中の仕事も人に負けないようにがんばったりしていて。結局そんなわずかの期間で勝てるわけないし、ましてや質がね、よいものができなかったりしてそういう意味での挫折感があったり、周りのみながついてきてくれない虚しさがありましたね。非常に眠れない夜が続きましたよ。
聞き手
辞めようかなとか、自分中での葛藤といいますか。
山崎
いや今思うと辞めようとってそんな思わなかった、その頃はね。そのあとではまた色々とあったんですけど。その頃はやめとようとはおもわなかったですね。やるしかないというところがありましたね。で、やればやるほど、よくない意味での深みにはまっていくってところはあって。 で、ある日、考えて社員さんと競ったり、争ったり、荒さがしをしたりするのが私の仕事では無くて、かれらが安心して働ける。一生懸命ちからが発揮できる職場を作って行くことが私の仕事だと思い始めたら、やるべきことが180度違うなって。思い始めてですね。そこから恥ずかしい話マニュアルなんかもできていなかったから、ちゃんと整備していこうとか。あるいは人には大学出ているのと言われたくらい経営計画書ってなんですかって。経営計画書ってなんですかって聞くぐらい知らなかったです。そういったことの勉強をしたりとか、してきましたね。
聞き手
なにが会長の考え方を変えていったんでしょう。例えば誰かにアドバイスをもらって。
山崎
そういうのもありましたね。でもこれだってアドバイスというよりも、不二家にいた経験がね。生きたと思います。だから私としては、自分の会社で人の力を活かしていけるような、自分でね1の力しかない、でも10も100もあるんだよって気が付けるように仕事の中で気が付けていけるように。そんなような職場にしていきたいなと思っていた。それを忘れて入ってね。思い出してきたっていうところがありますね。
聞き手
一番最初にご自身の中でこの会社を変えるために着手されたのって、いろいろなマニュアル作りだったりとか。働き方の整備だったりとか、そういったところ。
山崎
ですね。それと、もう1つは結果としてわさビーフができていったけど。新しい商品を作っていこうと。開発とかそういうのがありませんでした。工場長が片手間でやっていたものなんで。そういったことをやっていったことですね。
経営者プロフィール
| 氏名 | 山﨑 光博 |
|---|---|
| 役職 | 代表取締役会長兼社長 |
| 生年月日 | 1954年10月8日 |
会社概要
| 社名 | 山芳製菓株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 東京都板橋区常盤台1丁目52番地3号 |
| 設立 | 1953 |
| 業種分類 | 食料品、飲料・たばこ・飼料製造業 |
| 代表者名 | 山﨑 光博 |
| WEBサイト | http://www.8044.jp/index.html |
| 事業概要 | 「わさビーフ」をはじめとしたポテトチップス、スナック菓子の製造 |